北の編入生の部屋

北大法学部編入生が編入受験生に向けていろいろと発信します

H31年度北海道大学法学部2年次編入試験合格体験記

こんにちは。IHです。

今回、私の合格体験記のようなものを書いてみたいと思います。

合格体験記と言うと少し大袈裟ですが、受験までどのような生活をしていたのか、当日はどんな感じだったのかなどを述懐します。

かなりのボリュームになってしまったので、勉強法などについてはまた別の記事で述べることにします。

 

 

 

1. 普段の生活

まず、簡単にどのような生活状況だったのかを箇条書きにしてみます。

 

①私は北海道内の某国立大学(文系非法学部)に通っており、札幌市内で一人暮らしをしていました。
②一人暮らしなのにもかかわらず片道1時間半ほどかけて通学していました。
③ゆるめのアウトドア系部活動に所属していました。
④家庭教師のアルバイトをしていましたが、精神的に極めて重圧の大きい、言ってしまえばハズレの案件を受け持っていました。
⑤一人暮らし&自炊派&長距離通学なこともあり、家ではあまり勉強できない状況でした。

 

さて、このような生活をしていたものですから、とりわけ重要だったのは、なるべく大学で編入の勉強をすることでした。当たり前と言えば当たり前のことですね。

そのため、基本的に空きコマとお昼休みの時間は図書館に籠って勉強をすることにしていました。ちなみに、お腹が膨れると集中力が低下するので昼食は殆ど抜いていました。また、理系科目など、直接編入試験に寄与しないと思われる教養科目については思い切り内職をしていましたが、これは態度としてはあまり褒められたものではないですね。いちいち勉強時間を数えていたわけではないので定かではありませんが、大学での勉強時間は、この頃は1日あたり長くても6時間程度だったでしょうか。内職を含めればもう少しやっていたと思いますが、改めて振り返ってみると、それほど長時間はやっていないですね。

その代わり、大学がある日の自宅での勉強はかなり短めにしていました。大学で行った勉強の復習を軽くしていた程度でした。疲れていたからです。また、休日などに気晴らしがしたくなったときには部活動に参加したり趣味に走ったりして、北海道楽しいウッヒョオオオオオとテンションを上げていました。

 

そのような感じで当初は順風満帆に行っていた勉強でしたが、家庭教師のアルバイトを始めた6月辺りから、その勉強の旅路に翳りが見え始めます。

詳細を書くのは個人情報の側面からも憚られるので、端的に言うと、精神的に来る案件を引いてしまい、精神疾患的な意味で病む虞があったのです。家庭教師って楽だろ、本当に家庭教師をやっていたのか、とお思いかもしれませんが、本当に家庭教師をやっていました。今断言できるのは家庭教師=楽とは限らないぞってことです。ただ私のような特殊すぎる案件は数千人に1人くらいの超レアケースなので普通は遭遇しないです。たぶん。

話が大きく逸れました。とにかく、そこから精神的な意味で勉強が思うように進まず、ちょっとこれはいろいろとまずいなあとなりました。お金はフリーター時代の貯金があるから無理して続けることもないかとなり、派遣元及びご家庭と協議の末、契約を解除する運びとなりました。確か10月後半のことでした。編入試験まで幾許も日数がありませんでした。なにやってんだこいつ

何とか病む前に病魔からの遁走を遂げることができ、そこからは大詰めということで、大学がある日でも何とか通学中や自宅での勉強時間を確保して可能な限り勉強をすることにしました。この頃は、半日ほど勉強に費やしていたと思います。倍ですね。試験一週間前に至っては大学への通学時間を惜しむあまり、まるごと自主休講をして家に籠っていました。

そしてそうこうする間に当日を迎えてしまいました。

 

2. 当日

①朝

(私の場合は札幌在住なので当てはまらないのですが、道外にお住まいの方は前々日までに来道することを推奨します。雪が舞う時期なので不測の事態に見舞われる虞もあります)

当日は6時頃に起きました。理由は覚えていないのですが何故か朝食なのに親子丼を作って食べ、出発前に緊張で全部戻しました。なにやってんだこいつ

外は寒くとも室内は暑いという北海道の建物事情について知悉していた私は、上下スウェット、いざとなれば半袖にもなれる恰好で受験しました。皆さんも是非自宅で勉強しているときとおんなじ恰好をして受験しましょう。リラックスして試験に臨めます。全裸とかパジャマとかだと流石にまずいですが。

試験室に入室すると、想像の4倍ほど多い受験生の数に少し気圧されましたが、この中の半分はどうせ記念受験だ、と何の根拠もない思い込みをすることで何とか自我を保つことができました。結構落ち着けたのでこの精神安定術はおすすめです。

 

②小論文

そうこうする間に時間となり、最初の小論文が始まりました。

北大の小論文は課題文型なので、課題文をいかに読み解き、設問に対し自分の言葉で論理的に記述できるかがキーとなります。

大問1は自信がありましたが、大問2を見て脳の回転が急に鈍くなったのを感じました。

「やべえ、何言ってるのかよく分かんねえ……」

今にして思うと、課題文の内容を十分に理解できなかった理由の一つに背景知識の欠如があったのかもしれません。あと朝戻した親子丼のせいかもしれないです。一応背景知識ゼロでも解けるように作問されているはずですが、背景知識があると課題文の読解に大いに役立ちます。

結局私はその大問2は頓珍漢な解答しかできず、「あ、終わったわこれ」とある種諦めのような境地に達していました。

一度糸が切れたら力が抜けてしまうもので、お昼休みの時間には東京のときの大学の友人に「これ終わったかもしれん」とLINEで泣き言を言いながら、北大構内をふらふらと徘徊していました。「あー紅葉が綺麗だなー」と思った記憶があります。もちろん他の受験生はご飯を食べ次の科目の勉強を頑張っていたことでしょう。

 

③英語

とは言え東京の友人に最後まで諦めるなと励まされ、気持ちを切り替えて最後まで足掻くことにした私は、小論文の失敗を取り返そうと思い、7、8割取ればOKだと気合いを入れ直して英語の試験に臨むことにしました。

紙辞書の持ち込みが許可されていたので、普段から使っていたウィズダムの英和辞典を引きまくって問題をコツコツと解いていきました。

当日は辞書をたくさん引きましたが、引き慣れていたので時間は十分足りました。まあ点数開示したらそれほどいい点数じゃなかったので足りたと言ってよいのかは疑問ですが。

全体的になかなか難しく、6割行っているか行っていないか、といった感じの手応えでした。それなりには出来たと思っていましたが、小論文の失敗もあり、正直落ちたなと思いました。

 

3. 合格発表まで

落ちたなーと肩を落として家に帰り、その日はお酒をいっぱい飲んだ記憶があります。(注:当時22歳です)

編入試験を受けると伝えていた大学の友人にはきっと落ちたと死んだ魚のような目をして乾いた笑いで報告をした記憶があります。

落ちたら落ちたでそれはしょうがない、また受ければいいさ、と3年次編入に向けて法学・政治学のテキストを新たに何点か買いました。まだ合格発表もされていないのに買い直した辺り、本当に落ちたと思い込んでいたことがきっとお分かりかと思います。

しかし私もやはり人間で、落ちたと思い込んでいた一方で一縷の希望を捨て去ることが出来ず、合格発表前日はほとんど眠れませんでした。

合格発表当日、静寂に包まれた自室に無機質な換気扇の作動音と高鳴る心臓の鼓動が鳴り響く中、ホームページにアクセスしましたが、発表時刻の10時になっても北大法学部のホームページに番号が掲示されていませんでした。緊張のあまり震える手で幾度となく更新しましたが、30分ほど経っても更新されないホームページに業を煮やし、思い切ってTwitterで番号を調べることにしました。こういう合格発表は誰か写真を貼っているだろうと考えたのです。

法学部の事務室前に貼り出された合格発表の掲示を写真に収めてくださっていた北大生の方のアカウントを発見し、勇気を振り絞ってその画像を見てみました。

 

私の番号がありました。

 

「受かったあああああウッヒョオオオオオオオアアアアアア」と独り自室で歓喜の声を上げ、二度三度と番号を見て、軽い過呼吸になりながら、ベッドの上で二転三転と翻筋斗を打った後、荒くなった呼吸もそのままに、コートを羽織って雪が降り頻る中、雪原の大地に独り吐息を舞わせながら北大へと駆け出しました。

そして法学部の事務室前に掲示されていた私の受験番号を、私の受験票と共に写真に収め、ずっと応援してくれていた家族、東京の友人、そして北海道の友人に送ってすぐさま合格報告をしました。

さあ胸を張って帰ろう、凱旋だ、と踵を返し、残る足跡の上に薄く降り積もった新雪を踏みしめていると、薄雪の積もる北大のキャンパスから出るよりも早く、私のスマホにたくさんの祝福の言葉が返ってきました。今まで生きてきて、あの瞬間ほど幸せなことはなかったでしょう。ちなみにその日は祝勝会的な感じでカラオケに行きました。

 

ちなみに成績開示を請求したところ、小論文60点、英語59点でした。失敗した小論文より英語の方が低いじゃないか!!!

 

4. 編入まで

編入の手続きまでに、元の大学で以下のことをする必要がありました。

①退学届の提出
②要件である32単位の確保
③部活動への報告
奨学金の継続手続き

①については、煩雑な手続きもなく、北海道大学法学部への編入学のため、と一筆書くだけで終わりました。事務の方からも、「北大の法学部に受かるなんてすごいね、おめでとう!」と祝福の言葉をいただきました。出て行くと言うのにありがたい限りです。大学職員にはあまりいい思い出がなかったのですが、良い人もいるのだなあと感動しました。

②については、恙無く単位を取得でき、38単位で退学することになりました。もしここで単位が足りなくなると、合格が取り消されてしまいますのでお気を付けください。

③については、報告するタイミングがなかなかなかったのですが、部員が集まる集会的な場で報告をし、合格を祝ってもらいました。編入試験の勉強のとても良い息抜きになり、またとても良い友人に恵まれた部活動でしたので、縁を切りたくないなあと思い、部費相当の額を払った上で今でも活動には随行させてもらっています。同じ道内だからこそ出来ることですね。恐らく北大を卒業するまで関わりは途切れないでしょう。ちなみに当然と言えば当然ですが籍は無いらしいです。ですが大きな活動にはなるべく参加するようにしているので、就職活動などでは部活動の欄に大学名を冠した上でこの部活動の名前を書いています。1年次までは籍もあったので嘘ではないですね。言われないと思いますが何か言われたらこの話をします。

④については一応貸与してもらっていたのですが、編入に際して学籍の異動などの手続きをする必要があったため、事務の方と話し合いながら何とか済ませることが出来ました。奨学金を借りている方は、手続きを忘れないようにしてください。継続願も必要です。遅くとも6月には再び振り込まれるようになると思います。また、編入手続きの際に、入学金・授業料の免除・減額・徴収猶予の申請を行うことができます。経済的に不安がある方も安心してください。

また、編入手続きに際して、単位認定の申請書やゼミの申請書の他にも、退学証明書や単位修得証明書などを揃える必要があります。以前の大学で発行してもらうものについては年度を跨いで発行される場合もありますが、北大は待ってくれるので心配する必要はありません。

 

5. 最後に

北大法学部の2年次編入は、狭き門、2年次最難関などと表現されることがよくあります。倍率は10倍前後、最近の試験では11倍にまで上昇しました。当然ですが、合格は容易ではありません。だからこそ、合格を勝ち取ることができたら大きな自信に繋がります。合格までの道は確かに平坦ではありませんが、正しい方向に正しい量の努力をすれば、誰にでも合格のチャンスが開かれている試験です。注意していただきたいのは、編入試験の合格をゴールにするのではなく、編入した後に何をするかを考えるようにすべきということです。北大に限りませんが、合格後の大学の名前などに胡坐をかかず、学歴を剥ぎ取ったら何も残らない人間などにならないようにしましょう。

もし残念ながら2年次編入に落ちてしまった、という方も、諦めずに3年次編入にチャレンジしてみてください。可能なら、より難しい京都大学などの編入試験を受けてみるのも良いかもしれません。編入試験は、誰かに言われるがままに受ける試験ではなく、自らの意思で受けようと決意して受ける試験である場合が多いでしょう。たとえそれが失敗に終わっても、自らの意思で困難に挑戦した事実は変わりません。失敗からしっかり学び取ることができれば、きっと翌年にはより良い結果が得られるはずです。

 

結構な長文になってしまいましたが、私の合格体験記は以上となります。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。