北の編入生の部屋

北大法学部編入生が編入受験生に向けていろいろと発信します

文章ってどうやって書くの?

こんにちは。IHです。

 

突然ですが、皆さんは文章を書くことは得意でしょうか。

私は以前までは得意でしたが、今は得意と断言できるほどではありません(コロナ禍でだらけすぎてボケました)

皆さんの中にも、きっと苦手意識を持たれている方が多いと推察します。

ということで、今回は文章を書くことについていろいろと雑感を書いてみようかなと思います。一応編入試験ブログなので編入試験を意識した記事にはなっていますが、私の雑感も多分に含んでおりますので、必ずしも編入試験の小論文などに寄与するものではないと思います。適当にお茶でも飲みながら読んでいただければ幸甚です(そもそもノウハウを伝授できるほど文章が上手いわけじゃないです)。

 

 

 

1. 難解な言葉を多用してもいいことがない

いきなり自分にブーメランを突き刺しました。私は人より難しい言葉を知っているほうだと自認していますが、だからと言って文章を書くのが上手いとは全く思いませんし、難しい言葉をたくさん使えば文章が上手に書けるとも限りません。意外と履き違えている方が多いように思われますが、「難しい言葉が多い=評価される文章」ではありません。

確かに語彙力の多寡は内心を瑕疵なく発露させられるか否かを左右する重要な要素ではありますが、文章の「結構」に語彙力そのものは然程影響しません。衒学的な人に多く見られますが、そのような人は晦渋な語彙を長々と羅列させている一方、注意を払いながら熟読玩味してみると、抑々主語と述語に齟齬が見られる、言葉に致命的な誤用がある等の誤謬や、初歩的な魯魚亥豕を犯している羊質虎皮の如き文章を作す嫌いがあるように思われます。

ちなみに先の段落の2文めはわざと難しめの言葉を乱発しています。非常に読み辛いですね。読む気すら失せますし、意味が理解できたとしても読んだ後に破り捨てたくなります。特に難しい言葉はその意味を誤って捉えがちなので、余程自信がある言葉以外は使わないほうがいいですね。

また、読みにくい文章の傾向として、難解な言葉の多用に付随して、一文が非常に長いことも挙げられます。難しい言葉をたくさん使って頭の良さそうな文章を書こう書こうと思いながら文章を書くと、とんでもない長さになることがしばしばあります。読みやすい文章を書きたいなら一文は極力短めにしましょう。ちなみに本当に頭の良い人が他人に読ませる文章を書くときは、小学生でも分かる言葉遣いで書く、とよく言われますね。

 

話が横に逸れました。ここまで読むと、読みやすい文章を書くのに豊富な語彙力は必要ないのか、と思われるかもしれません。しかし私は、語彙力があったほうが明快な文章を書くことが出来ると思っています。

名状しがたい微妙な差異を伴う内心を過不足なく言語化するには、まず非常に豊富な語彙力がなければ行えません。仮にそれが非常に高度で難解な語彙だった場合には、豊富な語彙力から付随的に生じる豊かな表現力で言い換えられることになります。語彙力と表現力は別のベクトルの話だろう、と思われるかもしれませんし、論理的にも何の疑いの余地も残さず真であると断言できるとは私自身思っていません。ですが、語彙力がある人は押し並べて表現力も豊富ですし、表現力に欠ける人は語彙力にも難があることが多いように思われます(あくまで私見としてご理解ください)。

 

つまり何が言いたいかと言うと、かますということです。優秀で頭の良い人だと思われたい欲求が押し出されて書かれた文章は却って蕪雑で稚拙なものになります(先程の文は誇張が過ぎますが、読者の皆さんもアレを見て「この人頭いいな」などとは欠片も思わなかったことでしょう)。特に試験の論述などでかますとえらい目に遭いますので、平易な文章を心掛けましょう。難解な問題に対し平易な文章で答えられる人が真に優秀な人です。

 

2. 客観的な目線で文章を書くのは難しい

文章を一人で黙々と書いていると、どうしても主観的なものになってしまいがちです。先述した、やたらめったら難しい言葉で文章を書くことの弊害とも関係しますが、読み手が読んで十分に理解できる文章なのか、腑に落ちる文章なのかを振り返ることも大事です。

しばしば見られるのが、「私はこう思う、なぜならこうだからだ、それで私はこう思う……」と主観を一方的に押し付ける文章です。読み手が違う意見を持っていたとしてもそれについて全く言及されないため、モヤモヤします。勿論人の意見は千差万別なので全てを想定するのは不可能ですが、何かを主張する文章を書く場合は特に、客観性を付加するためにも想定されうる反論にも言及する必要があるでしょう。

特に試験の小論文などでは、自分の意見を声高に主張するだけでは足りず、予想されうる反論に対して反駁することで自論を補強することが求められます。例えば、「確かにこの案にはこのような問題もあるが、この点からその問題は重視すべきでなく、ゆえに私はこの案が妥当だと考える」など、譲歩を入れて論を展開するのが重要とよく言われます。「確かに~」の形で譲歩を入れるのは王道を通り越して陳腐とも言える方法ですが、文章作成に慣れるためにはテンプレ的な立論方法も知っておいて損はないんじゃないかなと思います。

 

3. 文と文の間にある論理の整合性

文章を作る際に、個々の文それ自体が上手く書けていたとしても、文章として読んだときに論理が破綻していたり、首尾一貫していなかったりすると、読み手としては何とも気持ち悪く感じます。文章を作る上で難しい点であると言えますし、私も非常に難儀しています。

とは言え、ちゃんとした論文や書籍でも「お前最初に言ってたことと最後に言ってることが全くちゃうやんけ!」と言いたくなるものって意外とありますよね。文章に習熟しているプロフェッショナルでさえそのような文章を書いてしまうことはありますので、私たちについては言うまでもありません。ではどのように気を付ければよいのでしょうか。

ここで、私が実践している対策でも書いておきます。対策などと大仰な言葉を使うほど大層なものではありませんが、文章が書けたと思ったら極力主観を交えないまっさらな気持ちで一旦頭からお尻まで読んで、変な違和感が無ければOKというものです。提出までに時間があるものの場合、丸一日ほど寝かせてから読み返します。丸一日寝かせるのは、主観を少しでも多く排除するためです。ありがちなものですね。皆さんの中にも同じことをされている方は多いのではないでしょうか。

 

4. 課題文型の小論文を書く際に

前章と関連して、編入試験に限らず何らかの試験で課題文型の小論文を書くときに私が特に気を付けていたことを書いておきます。勝手に私が思っていることなので参考にしなくてもいいです。ただそれなりの妥当性はあると思います。

課題文型の小論文を書く際、筆者の主張について賛成か反対かを論述させられる場合、まずは「反対」の立場に立って考えてみることをおすすめします。寄らば大樹の陰という言葉もあるように、賛成の立場に依拠して立論するのは非常に楽なのですが、出題者の気持ちになってみると、一見完璧で瑕疵など見当たらない文章に、ある僅かな論理の綻びがあるからこそ、その文章のその主張に対する是非を論じてほしいのだ、と想像がつくからです。批判的な視点から文章を吟味することでその綻びは幾許か見つけやすくなります。

ただ課題文型の小論文ではなく、単に「○○について賛成か反対か述べよ」という問題のように、妥当しないケースも勿論たくさんあります。課題文型の小論文であることを強調したのはそのためです。

また、課題文の内容や筆者の主張を十分咀嚼できていないのにも関わらず反対の立場に立って頓珍漢な解答を書いてしまうケースもあると思います。この場合、殆ど点は望めないでしょう。

ちなみに、反対の立場に立ったからには筆者の主張を論破できるほどの論理を展開する必要があります。なかなか度胸が要ることですが、出題者を納得させられればかなりの高得点を望めます。

どうしても反対の立場だと出題者を納得させられるほどの意見が出てこない、となったときに初めて賛成の立場で考えてみるとよいでしょう。先程も述べた通り、反対の立場で意見を論述することは諸刃の剣だからです。賛成の立場においても、文章中の論理の綻び、或いは十分に議論が尽くされていない点を指摘し、反対の意見として譲歩を入れ、客観性を確保する必要はあります。とはいえ、筆者の主張の論破などという大仕事をやってのける必要は無いので、心理的にも楽だと思います。

 

5. おわりに

文章を書くのは難しいです。ただ、難しいからこそ、日々の鍛錬によって少しずつ向上させることが出来ると思います。

私もまだまだ文章を書くのは下手ですが、毎日少しでも文章を書いてトレーニングしたいなと思っています。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。